愛のうた
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バタフライ・エフェクト3
「ジャンプによる過去の改変がどこまで状況と記憶を保持するのか?」が曖昧なため、筋立ては崩壊しており、そのシナリオ由来のダルさを解消しようとより過激な(エログロ方向の)映像を付け加えるという、ある意味では正統的とも言える続編ダメ映画転落の経路をたどっていることに、1作目のファンである小生は大いに脱力した。森よりも木が大切なパーツ偏愛狂である「ヤンデレ・妹萌え」の諸氏なら見る価値があるんじゃねえの、と小指の第二関節までを鼻腔へ挿入しながら小生は発言するのであった。あと、三回くらい体位を変えて延々と突きまくったあげくに恋人の写真を見て、「ごめん、できないよ」と発言し「あんたホモなの?」と返答する場面は本作の白眉だが、射精と着床までが正しいセックスですというキリスト教的性倫理を体現しているのではなく、脚本と撮影が乖離してしまっている現場の混乱を裏に読むのがツウの見方であろう。スリーだけどってやかましいわ。
ミルク
人種差別に対する抵抗は生殖とコミュニケーションを前提とするため、公民権運動への共感を自然に得ることができた。同性愛差別に対する抵抗はコミュニケーションを前提とするため、公民権運動への理解を条件つきで得ることができた。しかし、二次元や幼形を愛することへの差別に対する抵抗は生殖とコミュニケーションのいずれも前提としないがゆえに、公民権運動へは広がりようがない。在野のハーヴィ・ミルクたちへ告ぐ、ただ潜伏せよ。ネットで行われる論議の声高さに関わらず、この闘争に勝利するべき理はどこにも存在しないのだ。
見知らぬ明日
死の気配が濃く漂う本文に、切り取られた四肢の断面の如き異様な末尾。想像してみてくれ。目前に迫る確実な死に際して、いずれの神にも懺悔しようとせず、ありあまるカネを使おうとせず、友人との旧交を暖めようとせず、近親との思い出を作ろうとせず、ただひとり、終わるはずのない物語を書き続ける。想像してみてくれ。ぞっとしないか、そんな深淵があることに。
スター・トレック
時代を超えて幾度も復活する作品というのは、どれも類い稀な熱気と愛情に満ちている。本作品もまた然りであり、細部にまで行き届いた気配りが荒唐無稽なスケール感を裏打ちするバランスに、我が胸と目頭は自然と熱くなった。そして、賢くて論理的な人物よりも、危機に際して「大丈夫だ」と言えるヤツがボスになるという展開は、人生の季節的に我が胸へ強く迫ったのだった。余談だが、TNG世代の私は、当時その視聴を我が英語へ大きく寄与させたものだ。例えば、pikar-ed 「a.禿頭の」など、過去分詞の用法に対する深い造詣を通じて、諸君はその成果を垣間見ることができよう。かように、SFドラマが青少年に与える正の効果は大きいのである。本邦では主にアニメがその役割を担っていると言えるが、保護者が免罪符的な学習効果を期待して連れてゆく科学技術ナントカよりは、頒布性の高い実写のSFドラマに予算を割いた方が十年後の科学技術は明るくなると、半ば本気で信じている。
セブンティーンアゲイン
カッチリと展開の組まれた堅牢なシナリオがすばらしい。それでいて、この作品は単なるワンノブゼムに過ぎないのである。頂点のみしか存在しない本邦の実写虚構分野とは異なり、その裾野が樹海の如く密集して広がっているのが実感できる。そして、それが頂点を更なる高みへと押し上げる機能を果たすのだ。ひるがえって、このクオリティに到達している頂点すら、本邦では数少ないという事実に思い至るとき、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
スラムドッグミリオネア
こういうのを売り込もうとか、こういうのを流行らせようとか、作り手を送り手の下に置いた「売らんがな」による受賞には、その作品を手に取る前に気持ちが萎える気難しい消費者であるところの俺様である。特に本邦の賞は、いま挙げた点においてどれも全く信用ならない。送り手どもは基本的に受け手の俺たちを全員馬鹿と思っているからであり、それ以上に作り手を不在にする人間への尊敬の無さには、機会さえあれば複数回ブン殴ってやりたいほどの立腹である。なので、評価されるべき作品が当たり前に評価されている単純さにすごく安心する。真に素晴らしいものは送り手の低俗な思惑を一蹴するのである。筋立てがご都合主義などという指摘は、先進国に特有の、精神病の描写をリアリティと賞賛する愚劣な態度なので、当サイトをご贔屓にするようなハイセンスの諸氏においては軽々と無視してよい。賢明な映画ファンであるところの俺様は、トレインスポッティングの続編という位置づけ視聴した。同じく社会の底辺を描きながら、人間への愛にたどりつく今回の結末に、ダニー・ボイルの遍歴を垣間見て、涙が出た。God is great.
真・女神転生SJ
映画は拘束される時間があらかじめ決まっているため、安心して没入できる。しかし、ゲームの場合そうはいかない。人生を時給計算する私は、プレイ中いつも時計が気になってしょうがない。今回も開始前、不機嫌にイヤホンを差し込みながら、確かに時計を確認したはずである。しかし、気がつけば室内は薄暗くなっており、時計に目をやればなぜか数時間が経過していた。これってもしかして、神隠し?
ザ・バンク
どの分野でもそうですが、最良のものとそうでないものって、簡単に区別がつきますよね。でも、俗に言う「B級」的なものと良いものの境界がどこにあるのか、指摘するのは難しいと思いませんか。はい、皆さん、注目して下さい。これがそれです。視聴開始1時間の時点では、この映画が「かっこいいぼくのかんがえたさいあくのこっかかんはんざいそしきぼくめつハードボイルド」になるとは予想だにできなかったのですから! しかしながら、積み上げられた伏線や人物造形のことごとくが物語の後半で放棄されてゆく様を見るのは、小生の如きすれっからしの享楽乞食にとって、ある意味では爽快と言えないこともありませんでした。
ある公爵夫人の生涯
女にとってひたすら都合のいい、これだけ超絶ハーレクイン的な「実話」を見つけてきた時点で製作者側の勝利なわけですが、純情かつ知的な正しいおたくであるところの小生の清らかな心は視聴を通じてひどく汚されました。クソ忙しいのになんでこんなの見てんだよォォォ! 念願の男子出産ってオマエ、それ愛人の種に決まってんじゃねえかよォォォ! なんでそこスルーすんだよォォォ! このバカバカまんこ!
ダイアナの選択
皆様のご想像通り、ユマ・サーマン目当てで視聴しました。人はただ己の生き方によってのみ、復讐されるというお話です。「エレファント」から少年の視点、「ボーリング・フォー・コロンバイン」から社会の視点をあらかじめ仕入れておくと更に深みが増すかもしれません。ところでこのオチですけど、はやってるんですかねえ。なんか最近よく見る気がする。
ムーン・リヴァー
技巧や面白さではない。しかし、その天才を久しぶりに思い出した。本当の意味での絶筆は、この作品だと感じる。少なくとも、私にとっては。
グラン・トリノ
この映画は二重の差別意識により成立しています。まず、クリント・イーストウッド以外の俳優すべてがほとんど素人のようなクソ演技に留まるところに、ベテラン俳優である自身のみを引き立たせるための優越が滲んでいます。次に、あらゆる人種に対して差別意識を持つことで有名な白人ですが、とりわけ黄色人種に対する蔑視が最も深刻というところです。なぜなら、ラストシーンで主人公が昇華される宗教的な高みには、この世で一番軽蔑する何かに向けての自己犠牲でしかたどりつけないからです。冒頭、わずかに示される様々の人種へする差別的発言は、イエロー全般に向けた西洋人の差別意識を希釈ないし隠蔽するために用意された作劇上の小道具に過ぎません。この映画を絶賛するクソ評論家どもは、日本国籍を剥奪されてなお同じ発言ができるかどうかの強度をまず試されるべきです。ホワイトどもにとって、レイプされた東洋人など、己の信仰にとっての試金石ぐらいに過ぎないのですから。
パセンジャーズ
途中まで「カウンセラーによるカウンセラーのカウンセリング」オチかと思ってたよ! この結末をミステリー的にフェアなものとして許容できるかは、貴君が信仰を持っているか否かにかかってくるのやもしれぬ。許容できれば、タイトルの意味が反転するエンディングは心地よいのだろうと思う。ともあれ、小生がアン・ハサウェイ萌えであることは表明しておかずばなるまい。
ウォッチメン
スリーハンドレッドの監督ということで、アメコミ・ヒーローの予備知識皆無の私が視聴した感想は、「バイオレンスジャック?」の一語に尽きましょう。ヒーローが実在した場合、世界はどのように救われるのかについて、たいへんシニカルですが可能性の高い結末が示されていました。でも、オジマンディアスの俳優が貧相なので一枚絵に耐えず、物語の終盤が画面的に辛かったです。あと、Dr.マンハッタンのペニスが割礼済みだった。
アフターウェディング
金持ち父さん、貧乏父さん。独特のカメラワークで最後まで退屈せずに見れた。にもかかわらず話の焦点が何なのかよくわからなかったのは、奥さんが出るたびにキルスティン・ダンストを想起した私の弱い心のせいかもしれない。 |
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