Up
虚構が与える夢やメッセージは、たとえ嘘でもいい、現実のDownに打ち勝たなくちゃダメなんだ。
マイ・シスターズ・キーパー
この世に悪は無い。だから、こんなにも苦しいのだ。
ディアブロ2
(籐椅子の老婆が微睡むような声音で)あれから十年以上が過ぎた。住む場所も変わった。つきあう人たちも変わった。いくつものOSが代替わりした。その度にnWoを更新するパソコンは変わった。ただ、うつし世の転変の中でひとつだけ、ずっと変わらないものがある。それは……(修羅の形相に豹変した老婆がモニターに齧りついて)どのパソコンにも、このゲームがインストールされ続けてきたってことだ! (荒々しいクリック音で孫を怯えさせながら)1.13ってもー! リスペックって何よもー! ルーン出まくりって何なのよもー! 時間ないのにもー! Moo!
カポーティ
カポーティとニーチェって、精神の崩壊までいっちゃう決定的な瞬間を体験した点で共通してると思ってんだけど、トラウマから汲むって怖いよなあ。突き詰めすぎても人格を破綻するし、解消しすぎても書けなくなるんだからさあ。正気のまま論理的に壊れていくって、すごいしんどいよなあ。少女保護特区の冒頭でも引用してるけどさあ、おれ、「冷血」に出てくるおばさんの発言が好きでさあ、永遠の話をしてから鼻をかむ話をするくだりって、なんかすごい女そのものっていうかさあ、人生みたいな感じがすんだよね。誰も指摘してくれないから言うけどさあ、少女保護特区も永遠の話をしてから鼻をかむって構成にしてあるんだぜ。あと、まだ「冷血」読んでない人は、この映画を見てからのほうがグッとくると思った。
サンシャイン・クリーニング
どぎつくもあざとい設定の組み方や、とっちらかった伏線を全く回収しようとしないシナリオに肯定的な印象を持てるかどうかが評価の分水嶺になるだろう。私が「リトル・ミス~」を愛していることは、すでに諸君へ伝わっていることと思う。物語の始まりと終わりで主人公の立ち位置や世界観が大きく変わったことを実感できるのが良い物語の条件だ。この映画において、主人公の客観的状況は開始時点より悪化したままで終わるのだが、にも関わらず爽やかですらある“読後感”を視聴者に与えている。君の人生の一部を物語として切り出して提示することを想像して欲しい。きっとエンドマークの位置が全体の印象を決定するだろう。この物語では、人間関係でままある錯覚の瞬間にそれを持ってきた。感情剥き出しの大喧嘩の後に互いの関係が深まったと感ずるような、祈りにも似たあの錯覚だ。それは日常という偉大な復元力を前にして、気づけばいつもすっかり元通りに、何も無かったのと同じに戻ってしまう。本作の主人公もエンドロールを越えた先で、まるで何も無かったかのようになんとかしのいでやっていくだろう。だがそれでも、何も無かったよりはずっといいのだ。だから、私はこの映画を肯定したい。
2012
すべての遺跡を破壊し、すべての人種を殺害し、すべての国家を沈没させ、すべての歴史を葬り去るエメリッヒの視座は、もしかすると神だけが持つ究極の公平さを達成しているのではないかと一瞬考えたが、結局のところそんなのは全くの気のせいだったぜ!
96時間
アクションとしての爽快さに加え、「悪役をブッ殺す理由が万人にとって正当」という爽快さがたまりません。悪役はブッ殺されるほど悪いんだから同情なんか不要だし、オマエ、悪の組織が体現する社会矛盾なんて知りたくもねえんだよ! 娯楽でまで俺に説教すんじゃねえ!
エスター
小生が本作を視聴したのは、キナくさい思想統制社会到来の足音に少女方面での需要を煽られたゆえだが、結果として大当たりだった。良質なホラー映画の特徴は、表面的な残酷さではなく、あらゆる人間の無意識に刻まれた普遍的な恐怖へ肉薄する点にある。例えば以前取り上げた「ホステル」では、コミュニケーションが欠落した瞬間に異物と化す他者への恐怖を描いている。直截な殺人の描写は一種のフレイバーでしかない。本作では、娘に対して母親が潜在的に抱く恐れが描かれている。すなわち、「女としての娘」だ。該当する婦女子にとって無意識へじかに手をつっこまれるような体験となるはずであり、これは忠告だが、本作を視聴させるときには万全の注意を払うべきだ。そして、児童に銃を持たせたり、児童を半殺しにしたり、児童にポルノすれすれの行為をさせたりしながらも、物語はきわどいことろで多くの人々が許容できる社会性の範疇へ着地している。極端な描写を自己目的化し、指摘されると過激化する例の方々にはぜひ見習っていただきたい。あと、ホラーの文法で撮影するとどんな日常もホラーになることがわかった。公園のシーンなんかほとんど笑えるくらい。
サマーウォーズ
サブカル的なジャンルの魅力は、最高のものと最低のものが「等価値で」同居できるところにあると常々考えてきた。そして、作品内のエレメントが漏れだして他と混郁しないよう、ある種の細胞膜で守られているという暗黙の前提があると思っていた。本作が凄まじいのは、じつに軽々とその、頑なな旧来的偏見を飛び越えたところである。現代の本邦におけるアニメという現象が図らずも自己総括的に一点へと集約した、奇跡の作品と断言することにもはや何のためらいもない。そう、最高峰の技術力と最底辺のドラマ性、例えるなら高級ウイスキーの泥水割り。某有名大作RPGと同じく、問題提起としての重要性だけが極限まで振り切れている。あの、だんだん不安になってきたから聞くけど、みんながすごい注目してるのって、この観点からだよね?
双剣に馳せる夢
居酒屋の与太話にカネをかけて映像化した感じ。中身というより、その成立の外殻部分がすごくおたくの本質を表している気がする。
未来を写した子どもたち
あの、己が相手よりも優位であることを確認したときにのみ発動される、自己愛保障と密接に絡みあった西洋的贖罪の典型例に寒気がした。なぜ、他のどの子どもでもなく、この子どもたちなのかという問いは、「優れた自分」が選んだという自意識の段階で完全に放棄され、枠組みへの問いかけはほとんど意図的に無視される。子どもたちの写真にしたところで、みなさまご存知、「社会的・身体的欠損を抱えた作者の出自にだけ意味がある」類の作品群に留まり、視聴前に期待した「真の芸術のもたらす救済の普遍性」には到底及ぶものではなかった。ドキュメンタリー単体としての構成も劣悪で、後進国の子どもをダシにした自己喧伝以上の中身を感じることは、もしあなたが正気ならば極めて難しいだろう。白人の自意識が放つおぞましさに恐怖したいという特殊性癖の持ち主にしかお薦めできない映画であるにも関わらず、本邦の文科省がアジア的前歯を前方へ突き出しながら推薦を与えているのは、もちろん「アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞」という冠に対するアジア的劣等感が最たる理由だろうことは想像に難くない。
縞模様のパジャマの少年
嘘をついてしまう。言葉は軽くて、意味がなくて、いつだって取り返しがつくはずだから。
レスラー
聞いてくれ。いまだnWoを更新することができて感謝する。多くの人に「もうムリだ」と言われたが、これしかない。人を遠ざけるようなまねばかりして、アクセス数を減らしてきたツケはむろん払うしかない。このホームページ運営、来訪者をすべて失うこともある。今やネタは古いし、更新も少ないし、文章もガタがきてる。でも、俺は更新を続けている。俺はまだ小鳥猊下だ。時を過ぎれば人は言う。「あいつはもうダメだ、終わりだ、落ち目だ、お払い箱だ」。だが、いいか。俺に「更新を辞めろ」という資格があるのは、ファンだけだ。これを見ているみんながnWoを存続させてくれる、俺の大切な家族だ。愛してるよ、ありがとう。
アンチャーテッド2
「アングラサイトのくせに、大作ゲーム好きなんですね。ハハ、コンプレックスの現れですか?」などと揶揄され、たちまちカッとなる新世紀火の玉ボーイ・怒瞋恚(イカリシンイ)a.k.a.小鳥猊下であるが、先に取り上げた某有名大作RPG(この部分はMGSに置換してもよい)を正確に批評し日米の文化論にまで展開することを目指す場合、本作をプレイすることが正に必須であるとご進言申し上げたい。某大作RPGに否定的な言及を行うとき、「一本道」という指摘がうんざりするほど頻繁だが、実のところそれ自体は何ら批判には当たらないのである。本作は一本道だがすべての道行は作り手の意志ある演出によって成され、グラフィックは美麗だがゲーム性とプレイアビリティを阻害するほど過剰ではなく、操作は平易で直感的だがプレイヤーの望むあらゆる動きをカバーする。「演出絶無の散漫な道行」「遊び手の利便を無視した美麗さ」「煩雑なのに限定的な操作」をなぜか志向してしまう本邦の大作群とは極めて対照的であり、もはや遺伝子レベルでの民族性の違いすら感じさせる壮大な隔絶である。ストーリーにしたところで、複雑な設定はテキスト式ゲームの方がよほどうまく伝えられるだろうし、内面の吐露は私小説の方がジャンルとしてむしろ適切であろうにと思う。それにしても、こういった斬新かつ贅沢な切り口を惜しげもなく無償で野良犬どもへ投げ与える俺様の気前の良さには、婦女子たちもモニターの前で陰部をまさぐりながら恍惚としているのに違いない。
ファイナルファンタジー13
「青みがかった亀頭をすりあげて柔らかくする行為を終盤は繰り返した」と記述すれば、愚鈍な貴様らにも俺様とこの作品の間に生じた連絡を容易に想像することができよう。しかしながら、製作者の想定する最も理想的なプレイ環境であろう巨大スクリーンと7つ以上のスピーカーを備えた大邸宅に住まう俺様でさえ、エンディングまでに幾度も意識が消失し、虎の毛皮のガウンから桃色の乳首をのぞかせながら足首まで埋まる毛足の絨毯をブランデーで汚したことを告白せずばなるまい。なので、14インチブラウン管と1つのスピーカーを備えたワンルームマンションに大家族で住まうアジア在住の貴様らの評価が本作品へ対して著しく低いのには、憐れみと共に大いに首肯できる。話は突然に変わるが、先日、アバターを視聴した。映像の素晴らしさは言及するまでもないが、主人公が共同体に受け入れられ、お互いに肩を組んで住民の全員がつながってゆく場面に、なぜか自然と涙が流れた。たぶん、映像のスケールと物語の難解さが同時に追求できないものであることを大キャメロンは理解しているのだと思う。俗に王道と呼ばれる人類史的な蓄積にしか、最先端の技術で作成した映像の説得力を受け止めることができないのだ。個人の内側だけで思いついた奇抜な構成や奇矯な造語は、たちまち薄っぺらな小細工として馬脚をあわらしてしまう。あと、本作品が12人の美少女を使徒に従えたキリストの復活をモチーフにしていないのは、nWoの明白な敗北だと思った。
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